2007年07月20日

Apollo 11 & Voyager


23:55のラヂオ体操が軽やかに耳に響いてくる今宵の月齢は、5.13
上弦の月である。。

さておき...
38年前の1969年7月20日に、人は... かぐや姫の故郷に足跡を残した。
ま、月に降り立ったか... どうかの諸説は色々あるようだが。

アポロ11号の月面着陸で、旧ソ連との宇宙開発競争に勝ったアメリカ... 然るに
ロシアの宇宙開発史も併せて追っていくと、今更ながら、両大国の冷戦時代を垣間見ることができる。


アポロ搭載のコンピュータースペックがファミコン以下だった!というのが
事実ならとても面白い。

ミッション等の詳細は以下にて、楽しんで下さいまし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD11%E5%8F%B7


人類を月に着陸させ、帰還させることがアポロ計画ならば... 未知との遭遇を目指す惑星探査機ボイジャー<Voyager>は、帰還することはない。

1977年9月に打ち上げた「Voyager 1」は2020年頃に原子力電池がなくなってしまうようだが、それでも銀河の旅は続き4万年後には「きりん座」のあたりを飛んでいるらしい。

また、1977年8月に打ち上げた「Voyager 2」には異星人へのメッセージとして『地球の音』というレコードが積まれている... アンドロメダ座の方向に飛んでいる2号は、29万6千年後にはシリウスに接近する予定なのだという...。

現在もボイジャーとは定期的に交信されており、現在位置などがNASAサイトにリリースされている。
http://voyager.jpl.nasa.gov/mission/weekly-reports/index.htm


2007年3月時点で、1号は太陽から152億6,900万km離れた宇宙を。2号は太陽から122億9,200万km離れた宇宙を... 共に「ヘリオスフェア(太陽圏)」の最外層を飛行中。
機能を失う2020年頃までには、1号は太陽から199億km、2号は太陽から169億km離れたところを飛行しているとのこと...!


兎さんが遊ぶ月を眺めることしかできない... わたくしは
遥かなる宇宙に想いを馳せて... STAR TREK<星間旅行>の気分を愉しむ...!


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2007年01月28日

続 猪口令糖 工場

♪ 解けない謎を さらりと解いて〜 (中略)
七つの顔のぉーおじさんの ホントの顔は どれでぇしょう〜 ♪

「七色仮面」の主題歌である。

七色仮面でち
七色仮面

以前、ネタにした某製菓会社のコレクションの数々... 前回は時間切れで、ゆっくり観ることができなかった。 今回はこれをメインに改めて足を運んで来た。。


アトムでち

「昔の子供のおもちゃ箱」ここの展示室の入口近辺で、先ず、アトムが出迎えてくれる。アトムを横目に反対方向には七色仮面のおじさんがガラス越しにニ丁拳銃で、わたくしを狙っておりますたっ。。

世代を超えた<おもちゃ>たちが陳列棚に所狭しと並べられている。興味のある方は是非、出向いてみて下さい... サッポロだけどねぇ〜。


【ここには、明治・大正・昭和の子供達の夢がカタチとなって数多く展示してあります。時を超え、私たちに語りかけるおもちゃをより多くの方に楽しんでいただければと願っています。】

と、案内パンフレットに記されている。


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2006年11月07日

オールド・カー <古き良き笑時代>

むか〜し 昔、叔父はクラブ(水商売)を経営していた。

かなり景気が良く、金持ちであった。。 当然、ステイタスになる高級自家用車を所有していて... わたくしの記憶に残っている限り、おそらく、タクシー以外で初めて乗ったであろう乗用車は叔父の日産セドリック(?)だったと思う。

たぶん、初代セドリック... 縦目の四灯だった覚えがあるので... でも、調べてみたら日産グロリアも縦四灯の時代があったのですね...! しかし年代が合わないので却下だな... でもでも、横四灯の記憶も何となくあるし...(わ〜ん、M氏 助けて!もしかして、叔父さんは車を2台所有してたっけか?)

懐かしい車がズラリ! 過日、「オールド・カー・フェスティバル」を見て来た。
その中に、横四灯仕様のセドリックもあったのである。。


ウチの父親は軍隊時代に車の運転技術を習得して、超高齢にして今なお「枯れ葉マーク(苦笑」を付けながらの現役で運転している。 数年前にはスピード違反で免停になるほどの車好きだ(あまり自慢にはならんが...!)

そんな父親が昔、乗っていた廃車寸前の「ブルーバード」 当時、日産から新車発表があり、その新車のネーミングを一般公募したことがあった。 入選者1名には賞品として、その「新車」がもらえる!
父親はここぞとばかり、新車を手に入れるべく行動を開始した。「ブルー○○...」「○○バード...」など、亜流のモノばかりのネーミングである。。他のネーミングも捻出しながら... それでも、数十通のハガキを投函しただろうか...!?

結局、『日産サニー1000』 これが新しい車のネーミングになった。
ショックを隠しきれない父親の姿...


それから数年後、父親は「 サニー1000 」を購入した...。

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2006年09月19日

秘密基地

五穀豊穣を祈願する秋祭りが、この連休にあった。
露店が道路を挟んで両側に数多く並んでいる。ふと、オモチャ屋で足を止めて覗いて見た。
現代を象徴する商品も陳列されているが、昔ながらのパチンコや銀玉ピストル、吸盤の弓矢や吹き矢、駒などもある。

露店が並ぶこの辺りは、むかし、空き地が多く恰好の遊び場だった... その一画に、秘密基地と称した場所があった。

…で、イメージするのはやはり洋上に浮かぶ島の「サンダーバード基地」か。
子どもの時って、なぜ<秘密基地>という言葉にワクワクするのだろう!?

小学生の頃、友だち6人程でよく遊び場にしていたのが電力会社の資材置き場。
電線を巻いておく木製のリールが数百個... 山のように置いてあった。けっこう、大きさも大小があって巻取り部分の板を外せば、子どもなら2〜3人は入れるくらいの空間が広がる直径2メートル強の大きなモノもあった。
最近、木製のリールは工事現場であまり見かけなくなったが、廃品になったそれを
横に倒しテーブル代わりとしてリサイクルされているのは見かける。。

前セツが長くなったが... そこの場所と、そのリールを秘密基地に見立てて家から持って来た光線銃やオモチャを手に夢中になって遊んだものだった。


秘密基地と共に、魅惑的な言葉... <秘密兵器>
特に、秘密兵器搭載車なんてことになると目が輝く! サンダーバード・ペネロープカー、007・ボンドカー、etc...。
当時、群を抜いて大好きだったのが<ウルトラセブン>ウルトラ警備隊のパトロールカー・ポインター。今、目の前にしてもその独特なデザインフォルムは美しく、総べてにおいて出来過ぎのカッコ良さなのである!

時にその木製リール内部は、数々の秘密兵器コックピットの大道具にもなった。。

現在、周りを見渡しても秘密基地になるような胸がときめく場所もなく... 秘密兵器を搭載している車も走っていない... 当たり前か。<秘密兵器搭載の覆面パトには遭遇したくない...>

空想しながら、工夫しながら、ルールを作りながら、愉しんで遊ぶ時代ではなくなったようだ...。

ポインターでち

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2006年08月18日

Vintage car

【ビンテージ・カー】過去につくられた品質に優れた自動車のことである。
英国のビンテージ‐スポーツカークラブでは1919年から30年までの間につくられた車、と、定義しているそうだが...。


在東京時代、アパートに風呂がなく数年間は銭湯通いをしていた。
夕方めがけて赴くと、一番風呂に近い状況で気持ち良く入浴できるので... たまにその時間帯をひとッ風呂タイムにしていた。。

銭湯の横には町工場的な鉄工所があった。
ひとッ風呂タイムだと、その鉄工所はまだ営業しており「キィィーーン」と鉄材を裁断する音が聞こえてくる。作業場の一画を車庫にしていて、営業車のトラックが置かれている... その車、なんと <オート三輪車

鉄骨等を積載したオート三輪が街中を走行しているのを、よく見掛けていたが... 実に、この鉄工所が本部基地だったとは知らなかった。

それから20数年、今でも現役で走っているだろうか...?


そして現在。。

昼間そこを通ると、駐車中の車の陰になっていて全然気が付かない... ましてや、車で通過するだけなので余計に気が付くわけがない。

空が白み始めた朝方に買い物へ出掛けることが多い... まだ静止している街のそこで、その車を見つけた。 先述したオート三輪トラックから四輪トラックへ。ちょうどシフトしはじめた時期に製造されたのがトヨタ・トヨエース... そのトラックがそこにあった。

残念ながら初代トヨエースではないが、身近な場所でこのトラックを見られるとは思わなかった。 そこは車の整備工場... 幼い頃、父親の車に乗って何回か訪れたことがある所。

当時から、いやもっと以前からこのトラックはここで幾多の出来事、時代を見つめ続けて来たのであろう... そして、これからも。

静寂な時間と喧騒なる時間との合間に...。

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2006年08月07日

夏 日

ここ数日、北の大地でも暑い日々が続く。。

自分ン家の草刈りはしないくせに、昨日は実家の草刈りをしてきた。
ぶんぶん唸る草刈り機を3時間ほどまわす。
途中、休憩で冷茶を飲みに実家に入って行くと扇風機が廻ってる... あまりにもレトロな、この扇風機。

『よくぞ現役で!』と毎年感心させられる。
実はこれ、わたくしが生まれた際に購入したモノで... 夏になると実家の居間に必ず鎮座している現役骨董品である。。
今夏を無事に過ごし、そして来年までお元気で。 また会いませう!


再び、草刈りに戻る。
日ざしが容赦なく身体に突き刺さる。草陰からコオロギが避難していく。。
近くの空き地でキリギリスが鳴き出している... もうすぐ旧盆、北の国の暑さもそれまで。

幼稚園の頃、夏の暑い日に近くの草むらでキリギリスを捕まえたことがあった。
虫カゴで飼い始め、毎日キュウリを与え、お礼の彼の音色を聴きながら過ごしていた。
月日は流れ、彼は1本、1本と脚が抜けながらも力強く生きている。
やがて雪が降り始め... 彼は胴体だけになっても生命を全うしながら寿命を待つ。

気高い彼の最期は、クリスマス直前の雪の降る日だった。


草刈り終了。
両腕がモーター振動のせいで、痺れて力が全然入らない!

この日、町内では夏祭りが行われていた... 夕刻から<こども盆踊り>の曲が響いており、浴衣姿のお嬢ちゃんたちが会場へと進んでいく。

冷たいビールがあるとのことなので、早速、会場に向かった。。
痺れてブルブル震える手を必死で押さえ込みながら... ビールを呑み干す!


長寿と繁栄を。
扇風機
posted by ぽんしょん at 22:55| Comment(11) | TrackBack(0) | □ 昭和臭回顧録

2006年06月08日

a stuffed toy dog

超高齢の父親が肺炎で入院した。
超高齢で脚が悪い母親はまともに動けないので、代わりにわたくしが動く。二階に買い置きの父親の下着があるからと、久し振りに実家の二階に上がった。

高校生まで過ごした... わたくしの部屋は物置きになっていた!
壁のポスター<松田優作>や本棚<ハレンチ学園・ど根性ガエル・秘密探偵JA ...etc>など、所々に当時を偲ばせる名残りが... しかし、物置きの印象が断然強い。。

そこで、今でも現役でインテリアとして鎮座していた縫いぐるみを見つける。鼻はカタチを失い... 毛は抜け落ちて色褪せている。40数年前にわたくしが愛用していたモノだ。。
抱っこして写した当時の写真も手許にあるし... 改めて見るまで、ずっと、クマの縫いぐるみだと思っていた。が... どうもイヌっぽい。

モノ持ちの良さは、どうやら母親譲り!…らしいのが再確認できた近況である。
あ、あとイヌだったことも...!?
ヌイグルミ

posted by ぽんしょん at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | □ 昭和臭回顧録

2006年06月02日

英雄の孤独と哀しみ

…後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。

言わずと知れた、芥川龍之介「蜘蛛の糸」の一節でございます…。

昆虫と同類視されることが多い蜘蛛だが、同じ節足動物門に属する昆虫類とは別のグループで昆虫との大きな異点は脚の数が8本あることである。小説にも描かれているように蜘蛛=糸! 全ての蜘蛛は<しおり糸>と呼ばれる糸を必ず引いて歩くそうだ。
捕食するのに代表的なクモの巣(網)は横糸に粘液性があり獲物が粘りつくようになっている。クモが網を歩く際には粘りのない縦糸を伝って歩く賢い奴なのだ。

「蜘蛛の子を散らすように…」という言葉があるが... 実際にその光景を目撃すると言葉通りの凄さで、思わず感嘆する! その後、蜘蛛の子は糸を空中に流してそれに乗って空を飛んでいく...

摩天楼煌めく空間を駆けてゆく、蜘蛛男。


スパイダーマンとの出会いは小学生の時だった。たまに買っていた<別冊少年マガジン>に<日本版スパイダーマン>が連載されたのである... 劇画は池上遼一 氏、後にストーリー提供で平井和正 氏が参加。超人故に悩めるヒーロー、そしてカッコ良さに魅了されていった。しかし、ストーリーは暗い展開が多かった。当時の世相とのギャップなのか...? 基本設定ディティールは本国版スパイダーマンと同じだが、日本人向けにかなり設定改変を施していた...。

単行本化された<あとがき>に平井 氏が記している。
<唐突に超人能力を持ち合わせてしまった平凡な若者が、自分自身を持て余しつつ彷徨する…『青春の咆哮』だと> 青春には、ほど遠い小学生のわたくしが何故これほどまで日本版スパイダーマンに夢中になったのか... 未だに不思議なのである。

今、読み返しても遜色はない... むしろ現時代には薄れてしまった<ストイック>な世界観がそこにあり興奮させてくれる。 日本版が登場したのは1970年<昭和45年>の大阪万博年... 異例の100ページ連載というスタイルであった。

スパイダーマン


来年、公開予定の「スパイダーマン3」。。

コミック版と映画版での能力の違いは<クモの糸>だ。
映画版は既にご存知のように手首に出来た腺から直接発射している。流れとしては、とても自然である!しかし、コミック版では科学的に合成された粘液を装填した投射器があり、それを手首に装着している。
何故、コミック版スパイダーマンは蜘蛛の最大能力である糸を超人能力として得られなかったのだろうか...? これも、未だに不思議なのである...??


面白い記事があった。
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大崎茂芳 奈良県立医大教授(生体高分子学)は人間がクモの糸で作ったロープにぶら下がる−。それが実際に可能なことを実験で確かめた。

コガネグモ約100匹から3ヶ月かけて、太さ5マイクロメートル(マイクロは100万分の1)の糸を採取。約19万本の束にして長さ約10センチ、太さ約4ミリのロープを作り、ハンモックのつりひもの一部に使った。このハンモックに体重65キロの大崎教授が数分間乗ることができた。理論上は約600キロまで耐えられるという。

使ったのは主に7種類あるクモの糸のうち、枝からぶら下がる時に使う「けん引糸」1本でクモの体重の約2倍の重さに耐えられる。 <5月23日付 共同通信>
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英雄の孤独と哀しみ...。
悩めるスパイダーマンの最大の悩みは、この蜘蛛の糸の能力を得られなかった事なのかも知れない。
posted by ぽんしょん at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | □ 昭和臭回顧録

2006年04月24日

Bewitched<ミーハーな想い>

またまた、整理中のストックビデオの話題で恐縮だが... TV番組製作時代に担当していた番組のオンエア分録画テープが数本出てきた。

うち、1本のタイトルを見て... そうだ、そうだ! 思い出した!!
番組放映550回記念「懐かしのあの人に逢いたい!」と銘打ち、スペシャル版で番組をオンエアしたものだ。この時ばかりは特別ゲスト見たさに、ミーハー精神丸出しでスタジオ収録に出向いた!

番組の性質上、特別ゲストは日本人ではない。しかも記念企画である。。懐かしい外タレ<外国人タレント=業界用語>を呼び寄せている。

さてさて、いったい誰かというと!?


1960〜70年代を過ごしてきた方なら、イヤでも必ず脳裏に焼き付いているであろうアメリカのホームコメディー番組。各シーズン合わせて、約8年間に亘り放映されたそのテレビドラマは幾度ともなく再放送された「Bewitched」 邦題は『奥様は魔女』である。。

スタジオゲストとして迎えたのは、タバサちゃん。
残念ながら、サマンサ・スティーブンスではなかったのだが... それでも充分過ぎる程のキャラクター! 同時代にリアルタイムで観て夢中になった者としては... 目の前にいるチャーミングで素敵な女性が、あのタバサ・スティーブンスなんだと思うと感無量。。<※セカンド・タバサちゃんとツインズで来日してくれた>

あまりにも身近な存在だった番組であり... 逆にそれはブラウン管を通してではないと決して出逢う事などない、遠い異国番組の存在と経年思い続けていたギャップが一瞬にして埋まった一時であった...。あわよくば、握手でもと窺ったが... 機会はなかった!

番組内インタビューで、彼女はタバサ役で「新 奥様は魔女」シリーズを撮ると話していた。もう、これも十数年前のお話しである。

<奥様は魔女 公式サイト>
http://www.sonypictures.jp/homevideo/okumajyo/


その後、無事にクランクインできたのであれば観てみたいものであるが... ニコール・キッドマン出演の劇場版『奥様は魔女』に化けたのかも知れない。。

posted by ぽんしょん at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | □ 昭和臭回顧録

2006年04月20日

スーパージェッター

チマチマと、ストック分のビデオテープを整理している。

その中にカラーアニメ版「スーパージェッター」が出てきた。入手した時は気づかなかったのだが、考えてみるとカラーであるはずがない。。今から40年前の製作で、モノクロのはず!
カラー初アニメは「ジャングル大帝」だ。ということは、ペイント済みリメイク版だったのかと今さら気づく...。


クネクネと変幻自在の生き物のようなタイムマシン<流星号>
空中を飛び回るための<反重力ベルト>
30秒間だけ時間が静止する<タイムストッパー>

これらは、ジェッターの必須アイテムである。

全三話分を観ながら懐かしむ。と...「ん?」
この年齢になって、やっと意味が通じる台詞があるぞ?

『バンアレン帯の放射線でフィルムがダメになってるのさ!』

これは、宇宙で特ダネ写真を撮り地球に帰還したカメラマンの水島かおるにジェッターが言った台詞だ... あまりにも、さり気なく放った言葉の意味は? 到底、当時子どもだった者には皆無であるはずだ。

<バンアレン帯>
http://wwwj.vsop.isas.ac.jp/yougo/k01_vanallen-belt.html

再放送の回や年齢を重ね、観る度にストーリー設定も明確になってくる。
その後、アニメ解説文でスーパージェッターの制作スタッフに豊田有恒 氏が脚本に参加してることが分かった。既に、この頃からSF的考証を意識したストーリー展開にしてスーパージェッターは製作されていたようだった。

ところが、つい今しがたジェッターを検索していて凄いことが判明する!参加スタッフに、名高いSF作家陣の名前が軒並み連ねて出てくるではないか!?

筒井康隆 氏、眉村卓 氏、加納一朗 氏、辻真先 氏(桂真佐喜)、半村良 氏など。
これほどのメンバーが... あまりにも豪華過ぎる。。そして更に、今を先駆けるキャラクター商法にも取組んでいた「スーパージェッター」だったのである。

<スーパージェッター公式サイト>
http://www.s-jetter.tv/
ジェッター

しかし当時、いったい何人の大人が「バンアレン帯」の意味を理解していたのか...?

とても疑問なのである。

posted by ぽんしょん at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | □ 昭和臭回顧録

2006年04月07日

お宝〜〜??

何のために切り抜きをしていたのか....? 今となってはハッキリ覚えてない。

単純にマンガが大好きだったから。だとは思うが、それにしても昔からこんな収集癖があったとは... そして、モノ持ちもすごく良い!本棚には幼稚園時に買って貰った絵本が並んでいる。小学校低学年の頃に父親から貰ったホッチキスを今でも使用しているし、ハタチの頃に買ったペンケースも未だに使っている。。

コレクターとしては現在でも変わっていないようだ。
だから、周辺にはモノで溢れている... 加えて、子どもの時には高価でとても手に入れることができなかったモデルガンを地道に入手しているのも現実。


先日、段ボールに保管した写真集<これもまた古いのだ>を探すのに漁っていたらバインダーも一緒に発見した! 開いてみると、当時の少年誌に連載していたマンガの扉がファイルされていた。
ハレンチ学園、パットマンX、あしたのジョー、無用ノ介、ウルトラセブン、いなかっぺ大将などなど... みんな30〜40年前の切り抜きである。

そうそう実家にはソノシート盤やブリキ玩具、ご幼少時の年賀状も残っている。
あと、とても書きにくいが... 夜店で購入した亀もミイラ化したまま引き出しの中で永眠しているはず...。


そろそろ、33回忌ぐらいだろうか?


コミック


posted by ぽんしょん at 09:53| Comment(5) | TrackBack(0) | □ 昭和臭回顧録